BAUHAUS(バウハウス)のデザイン思想を正確に伝承する数少ないメーカー、ドイツ「TECTA(テクタ)」社。
TECTA社を哲学的に経営する人物アクセル・ブロッホイザー氏の頭の中で現在もバウハウスの造形哲学は、進化し続けている。
ドイツデザインやバウハウスを語る上では、外すことができない重要ブランドである。
1919年に誕生したバウハウスは、世界初の総合的美術学校であり、画期的にモダンな家具や建築を生み出した工房としてデザイン史に輝く存在です。
機能美あふれる作品の数々が日常生活にデザインという概念をもたらし、その後のデザイン界の発展に大きく影響を及ぼしてきました。
そんなバウハウスの精神を現在に伝えるのが、1972年にアクセル・ブロッホイザー氏がドイツで創業したテクタ社です。
彼が26歳の時、バウハウスを象徴するプロダクツのひとつ、ペーター・ケラーがデザインした1枚の家具スケッチ「カンディンスキーの揺りかご」に出会い衝撃を受け、急速にバウハウスに心酔していきました。
しかしながら、東西冷戦時代の東ドイツでは危険思想と見なされ、ブロッホイザー親子も弾圧を加えられ、ついには父親が経営する家具工場と社員300人まで没収されてしまいます。
それでもバウハウスに対する想いを断ち切ることはできず、1972年トランクひとつで父親とともに西側へと亡命。
苦難の末、ドイツ中央部に位置する小さな町、ローエンホルデの家具工場を入手し家具製作を開始したのがテクタ社のはじまりです。
そして、マルセル・ブロイヤーやミース・ファン・デル・ローエといった巨匠たちが手掛けた数々の名作家具の著作権を次々と買い取り、現代に復刻させています。
また、シャルロット・ペリアン、ジャン・プルーヴェといったバウハウス以外のデザイナーとも親交を深め、バウハウスの哲学をベースとしたオリジナルのプロダクトも次々と発表しています。
そんなテクタ社を代表するプロダクトのひとつが“奇跡のテーブル”と言われる「M21(エム21)」。1990年に発表されロングセラーとなっているこのテーブルの天板のデザインはジャン・プルーヴェ。
座る人数を限定せずにさまざまなシーンに対応し、微妙な視線のズレが心地よい距離感をもたらしてくれます。
しかし、プルーヴェがデザインしたのはこの天板のみで、テーブルを実現させるため天板を支えるための脚部をデザインしたのは社長のブロッホイザー氏。
そしてその脚に穴を開けてはどうかとアドバイスを与えたのはピーター・スミッソン。
この他にも数々のデザイナーとの出会いにより「M21」は誕生しました。
他にも1981年発表のブロッホイザー氏オリジナルデザインで、バウハウスの名作に影響を受けて誕生した片持ち梁構造のダイニングチェア「B20」、1996年発表の動く彫刻「モビール」の形状にヒントを得た昇降式サイドテーブル「K22」なども20年以上にわたるロングセラー商品として世界中のみなさまに愛されています。